被相続人からの借金は特別受益になりますか?
目次
A 原則として特別受益にはなりませんが、被相続人から債務の免除を受けたといえる事情がある場合、特別受益になる可能性があります。
1 特別受益とは
特別受益とは、被相続人から生前に、生計の資本としてなどとして贈与を受けている相続人がいる場合や被相続人から遺贈を受けた相続人がいる場合、贈与または遺贈の評価額を相続財産に加え、再分配の計算を行う制度です。
被相続人から相続人である子に生前贈与がされるということはしばしば行わるため、特別受益は、遺産分割の場面でもよく問題となる重要な争点です。
2 被相続人から子にお金を貸した場合の関係
それでは、被相続人から贈与を受けたのではないけれど、お金を借りた相続人がいる場合で、返済をしていないとき、借りた金銭は特別受益になるのでしょうか?
結論として、貸金と贈与は、性質が異なるので、金銭を貸したことそれ自体が特別受益となることはありません。この場合、被相続人の相続人に対する貸金債権が、遺産となり、この債権が法定相続分に分割されて、相続人に帰属することになります。
たとえば、父Aが長男Cに1000万円を貸したところ、長男が返済せず、父が亡くなったとします。相続人は、母B、C、次男のDとします。
この場合、Aが亡くなったとき、AはBに対し、1000万円の貸金債権を保有しているので、この貸金債権が法定相続分にしたがって、Bに500万円、Dに250万円ずつ承継されます(Cも250万円の貸金債権を取得しますが、自身が債務者なので250万円分は混同により消滅します)。この場合、Bは500万円、Dは250万円の返還請求権をCに対し取得します。
このようにして貸金債権を相続することができれば、相続人間の公平は保たれます。
3 時効消滅している場合
それでは、このAの貸金債権について消滅時効が完成している場合はどうなるのでしょうか?
貸金債権は弁済期限から5年または10年で時効消滅します。消滅時効の期間は民法改正のため、2020年3月以前の借金は10年、4月以後の借金は5年です。
被相続人の貸金債権の消滅時効が完成した場合、借金をしていた相続人が時効を援用すると、他の相続人は貸金の請求をすることができなくなります。
そうなると、借金をしていた相続人は、支払いを逃れた分だけ利益を受けていることになります。そこで、他の相続人から、借金をしていた相続人に対し、返済を免れた金額について特別受益だと主張することがあります。
このような特別受益の主張について、この後に説明する過去の裁判例では、原則として特別受益にあたらないと判断しています。しかし、被相続人が借金をしている相続人に対し、支払いを免除したという事情がある場合には、免除を受けた相続人に発生した免除益について特別受益にあたる余地があると解釈しています。したがって、被相続人が借金の免除をしたという事情がなく、単に、借金の未払いを放置していたら消滅時効が完成してしまったというケースでは、特別受益の主張は難しいと思われます。
ただ、後に掲げる裁判例は、あくまでも地方裁判所の判決であり、最高裁判所の判決ではありません。今後の裁判例の動向や担当裁判官の考えによっては、これらと違う判断になる可能性も否定できないと考えています。
4 時効消滅した貸金等について、特別受益を否定した裁判例
(1) 松山地方裁判所判決令和5年2月7日
前妻の子が、父の相続について後妻の子に対し遺留分侵害額請求をした事案で、前妻の子は少なくとも被相続人から1500万円を借りており、他にも数百万円の借り入れが窺われる事情があったところ、被相続人の前妻の子に対する貸金債権は時効により消滅していました。
前妻の子の借金が特別受益にあたり、前妻の子の遺留分が否定されるのか否かが争われたのです。
後妻の子は、被相続人が長期間にわたり前妻の子に対し、貸金の返還を要求せず放置したのだから、被相続人は貸金債権を放棄したのだと主張しました。
これに対し裁判所は、被相続人が貸金債権を放棄(免除)した場合には、特別受益となる余地があると判断しました。しかし、被相続人が前妻の子に対する貸金の回収に向けた行動をとらなかったのは、貸金債権を消滅させる積極的な意思を示すものではなく、長年に渡り親子関係が断絶し、音信不通になっていたことの結果に過ぎないと判示しました。裁判所は「債権を現実的に回収しないということと、債務免除(債権放棄)の意思表示をすることとは別の事柄である」と述べています。
さらに後妻の子は、被相続人が、支払い能力がない前妻の子に、1円の弁済を受けていないにもかかわらず貸付を繰り返したことは、実態として貸付ではなく援助だったので、特別受益にあたると主張しました。しかし、裁判所は、被相続人のメモに金銭を渡したことが貸付であることを推認させる記載があること等から、援助ではなく貸付であると認定しており、「このことは、原告(前妻の子)の返済資力の有無、程度によって左右されるものではない」と判示しています。
結局、裁判所は、前妻の子の特別受益はないものとして、遺留分侵害額を計算しました。
(2) 東京地方裁判所判決平成26年6月5日
遺留分を請求された被相続人の子ら(A、B)が、遺留分を請求してきた被相続人の孫ら(D、E)に対して特別受益を主張した事案です。
被相続人が、孫ら(D、E)の親C(被相続人の子)に対して有していた533万円の建物の使用料債権が時効消滅していることを理由に、533万円について無償の利益をCが受けているとして、D、Eに特別受益の主張をしました。
裁判所は、「原告ら(A、B)は、被相続人のCに対する本件建物の使用料債権が時効消滅したことが特別受益に当たると主張するが、時効期間の経過により権利が行使できなくなったことをもって直ちに贈与その他の無償の利益供与と同視することはできないから、上記使用料債権の消滅時効をもって特別受益と捉えるのは相当でない。」「また、Cが本件建物の使用料支払債務につき免除を受けたり・・・(中略)・・・した事実はないから、これらの点を特別受益として考慮する必要はない。」と判事しました。
(3) 東京地方裁判所判決平成20年4月9日
遺言で全財産を相続することになった被相続人の次男に対し、代襲相続人の長男の子が次男に対し遺留分請求をした事案です。
次男は、長男が被相続人から合計7115万円の借金をしていたが、全て時効消滅したことから、長男は返還義務を免れることになり、同額の利益を得たことから、特別受益に該当すると主張しました。
裁判所は「被告は、消滅時効の抗弁により返済義務を免れることで特別受益に該当する旨主張するが、消滅時効によって債務消滅の利益を得ることについて、これが特別受益に該当するものと認めることはできない。」と判示しました。
以上のとおり、被相続人に対する債務が時効消滅しても、裁判所は、特別受益と扱うことに消極的な姿勢を示しています。